本メルマガは、IoT価値創造推進チームのリーダーである稲田修一が取材を行ったIoT導入事例の中から、特に参考となると感じた事業や取り組みを分かりやすくお伝えする見聞記です。今回は、ソフトウェア開発業のアンデックス(本社:仙台市青葉区)の水産養殖業におけるデータ活用事例を取り上げます。
【ここに注目!IoT先進企業訪問記(19)】
データ活用の新領域を切り拓く-アンデックスの「水産×IT」
アンデックスは、ソフトウェア開発、スマートフォンアプリ開発、WEBシステム・ホームページ制作などを行っている社員数50名の会社です。主力の技術者派遣業務が頭打ちとなったため、新規業務の模索を行う中で、三嶋 順 代表取締役社長が以前水産商社で働いていたこと、宮城県が水産業に力を入れていることなどから水産業に着目したそうです。同社の取り組みで参考になるのは、顧客である漁協や漁師の方々を始め、県や大学、モバイルキャリアなど鍵となる関係者と上手に連携した新事業の開発・展開です。その取り組みをご紹介しましょう。
1. 水産養殖業の課題は自分の漁場の「常時見える化」
水産業の中で、養殖業は成長分野です。漁業産出額の推移を見ると、遠洋漁業、沖合漁業、沿岸漁業を足し合わせた海面漁業(海面において水産動植物を採捕する事業)の産出額の伸びは2011年から2016年の5年間で2.4%増ですが、海面養殖業(海面又は陸上に設けられた施設において、海水を使用して水産動植物を集約的に育成し、収穫する事業)の伸びは同期間で31.6%増です。ちなみに、内水面漁業・養殖業(河川・池・沼など淡水における漁業や養殖業)も同期間で24.1%の伸びを示しています。(下図参照)実は、世界的にも養殖業の産出額は大きな伸びを示しており、成長産業なのです。
【出所】農林水産省統計情報「漁業生産に関する統計」より
アンデックスが「水産×IT」の取り組みを開始したのは2014年度です。2011年3月11日に発生した東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県の水産業の復旧・復興が進んでいた時期です。宮城県の水産担当の紹介などで漁師の方々と話すうちに、養殖業の課題が見えてきたそうです。
牡蠣(カキ)養殖の漁師の方々からは、「これまでは今年、どれくらい採れるかの予測ができていた。でも震災後は、明らかに海の様子が変化し、勘と経験による予測とは違う現象が起きている。自分の漁場の状態を把握するため、データがほしい」との要望があったそうです。牡蠣養殖では水温が30℃以上になるとへい死(注1)の可能性が高まり、逆に、10℃以下では成長スピードが低下します。また、牡蠣の生育を妨げる他の貝の発生も水温に左右されます。このため、水温の変化を把握していることが重要なのです。
このことは漁師の方々も良く分かっており、これまでも自分の漁場の水温を計測していました。しかし、漁船を出して養殖現場の漁場まで行って計測するため十分な回数の測定ができず、しかも表層水温を計るのがせいぜいで、天候次第では計測できない日すらありました。宮城県水産技術総合センターも水温や栄養塩(注2)などのデータを公開しているのですが、公表データは「松島湾」という大くくりのデータで、かつ、公表まで数日間のタイムラグがあるので、自分の漁場の変化に機動的に対応するには十分なデータではなかったのです。
一方、海苔養殖では、おいしい海苔が育つ条件が明らかになっています。10~13℃の水温が最適で、5℃を下回ると成長スピードが低下、13℃以上では海苔に赤い斑点ができる「赤腐れ病」の可能性が、25℃以上では枯死の可能性が高まります。また、栄養塩の濃度が低下すると、色落ちが発生し赤みがかった色に変色してしまいますし、塩分濃度が低下すると海苔が育ちません。このため、漁師の方々は海苔の品質が低下する前に収穫する、海水の塩分濃度低下の場合は漁場に濃い塩水を撒くなどの対策を取っていました。ここでも自分の漁場の環境条件をしっかりと計測することが求められていたのです。
注1:漁業では、養殖している魚類などが突然死することを「へい死」という。
注2:植物プランクトンや海藻の栄養となる海水中に溶けた、けい酸塩・りん酸塩・しょう酸塩・亜しょう酸塩等を総称して「栄養塩」という
2. 現場を含めた多くの知見を組み合わせてビジネスを立ち上げ
このような課題の解決策を探るためインターネットで調べているうちにたどり着いたのが、はこだて未来大学の和田 雅昭教授が開発した海洋観測ブイです。同教授は、水産業と情報処理技術を融合した新たな研究分野「マリンIT」を立ち上げ、全国に先駆けてIT導入による持続可能な沿岸漁業の実践に取り組まれている方です。同教授が開発したブイはアンデックスが必要とした漁場の環境条件の計測が可能で、しかも同教授は高校まで仙台におられたというご縁もあり、同教授のブイ技術を利用することにしたのです。
アンデックスは、同教授のブイ技術を利用した新しいブイ(ICTブイ)と収集したデータをスマートフォンに表示する「ウミミル」アプリの開発に当たっては、次の要件が必要だと考えています。ブイについては、小型軽量化、低コスト化、それに計測データを遠隔から確認できるよう通信機能を実装すること、アプリについては、同社得意のソフトウェア開発能力でユーザインタフェースを改善し、漁師の方々が簡単に使える道具とすることです。しかし、これらの要件の実現は同社だけでは困難でした。このため、ICTブイの設計・製造はセナー&バーンズ社、通信機能の実装についてはNTTドコモの協力を仰いでいます。
NTTドコモとは、「アンデックスの取り組みは震災復興に役立つし、面白いので一緒にやりましょう」ということで協働作業が始まったそうですが、この契機になったのは三嶋社長が副会長を務めている「みやぎモバイルビジネス研究会」での情報発信だったそうです。まさに、情報発信がパートナー探しに貢献したのです。現在、NTTドコモは、日本全国における顧客開拓でも中心的な役割を果たしています。
同社は、NTTドコモと一緒に実証実験を進める中で漁師の方々の意見を聞き、さまざまな改善を行っています。ICTブイは、海苔養殖などに使う浅海用のものと、マグロ、タイ、牡蠣などの養殖などに使うことを想定した30~40mまでの複数の深さで水温測定ができるものの2種類のタイプを準備しています。また、「計測頻度を30分に1回に増やしたい」「植物プランクトンの量を推測するためのクロロフィル濃度や海水の濁度、溶存酸素量など計測する項目を増やしたい」など、電力消費が増大する要望に対応するため、ソーラーパネル付きのブイも開発しています。
ブイの運用についても今までとは違う方法を導入しています。従来は、ブイ利用者が高価な運用費を支払って提供者に保守管理してもらうことが通例だったのですが、この運用費を軽減するため、電池交換、センサーの清掃を含めこの作業を漁師の方々に行ってもらうことを試みています。実際に、漁師の方々に電池交換やヒドロ虫、ムラサキガイ、フジツボなどの付着物の除去などの作業を行ってもらい、このやり方で問題が生じないかどうか検証中です。
3. データ量に応じて拡がることが期待されるデータの価値
2018年8月現在、ブイは松島湾の牡蠣養殖、有明海の海苔養殖を中心に北は北海道から南は沖縄まで40台くらいが使われているそうです。導入は漁協単位で、一つの漁協で2~3台のブイ導入という形態が多いそうです。
導入後、ブイで取得するデータが蓄積されるにつれ、その価値も見えてきています。それは、漁師の方々の勘と経験をデータで補うことでリスクを軽減し、データの裏付けによる計画的な生産や品質の向上が可能になることです。例えば、牡蠣の卵の孵化(ふか)に要する期間は1日の平均水温の積分と相関があるのですが、養殖漁場ピンポイントの高精度な平均水温による計算ができることで、孵化時期の予測精度が上がったそうです。また、稚貝が丈夫に育つ生育条件についても割り出すことができそうだとのことです。
一方、海苔養殖については、きめ細かなデータが遠隔から確認できるようになったことで、ベストなタイミングで収穫する、あるいは海水の塩分濃度が下がった時に遅滞なく濃い塩水を撒くなどの対策を機動的に取ることなどが可能になり、収量を増やす目途が見えてきた段階だそうです。
このように今はまだ、データの価値が少しずつ見え始めた段階ですが、収集データの数が増えるとその価値もより大きなものになると考えられます。例えば、水温変化の予測に基づく海苔の種付け解禁時期の最適化、養殖する海の環境に適した魚種の選択、海の環境と養殖する海産物のおいしさとの相関性分析などです。漁師の世界は勘と経験が支配しており、データの重要性を理解してもらうこと自体が骨の折れる作業だそうですが、比較的早い速度で成長している水産養殖業の世界にデータというツールを持ち込み、その成長を加速することは食の安定供給、漁業資源の保護につながります。現在、水産養殖業では海の環境計測以外にも、水中カメラで撮影した画像データ解析によって生け簀の中にいる魚の尾数や体重を計測する技術が実用化されています。また、生育データや環境データから給餌の量やタイミングの最適化を図る技術などの開発が進められています。この分野における今後のデータ活用の拡がりに期待したいと思います。
今回紹介した事例
漁場をリアルタイムに監視し漁師を支援する
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