本メルマガは、IoT価値創造推進チームのリーダーである稲田修一が取材を行ったIoT導入事例の中から、特に参考となると感じた事業や取り組みを分かりやすくお伝えする見聞記です。今回は、これまで「IoT導入事例」として紹介した事例を分析し、IoT導入のベストプラクティスを考える番外編の最終回です。今回は、デザイン思考や未来社会からのバックキャストという価値創出手法について分析します。
【ここに注目!IoT先進企業訪問記(29)】
「IoT導入事例」に見る新しい価値の創出法(その4):価値創出の手法
1.日本では浸透・定着していないデザイン思考
ビジネス上の課題を認識し、解決するため、「デザイン思考」が欧米を中心に幅広く使われています。デザインを創出する際にデザイナーが用いている手法をビジネス課題の解決に応用したものです。データ活用にもこの手法は有用で、図1のように「顧客課題の明確化」⇒「アイデアの創出」⇒「ユースケースの具体化」⇒「ユースケースの検証・展開」というプロセスを繰り返して価値創出につなげます。IoTというツールを起点に考えるのではなく、顧客課題を起点に考えることが成功への鍵となります。
図1:デザイン思考を用いた価値創出手順
このデザイン思考ですが、残念ながら日本では定着していません。クリエイターと企業のマッチングサイトである「ViViViT(ビビビット)」を展開しているビビビット(本社:東京都新宿区)が全国の企業を対象に実施した「デザイン経営」および「デザイン思考」に関する意識調査では、「デザイン経営」の認知について「知らない」と回答したのが 3,347 社のうち65.4%、「デザイン思考」についても 50.4%が「知らない」と回答しています。
また、「デザイン経営」または「デザイン思考」、もしくは両方を認知する1,767社に対し「デザイン思考」を経営に導入しているか尋ねたところ、「既に取り入れて浸透・定着している」はたったの5.5%。「試行的に取り入れているが、浸透・定着はしていない」という回答を合わせても14.9%にとどまっています(図2参照)。導入に成功し、活用しているのは、一部の先進企業に限られている状態です。
2.日本でデザイン思考が拡がらない理由
日本でデザイン思考が拡がらない理由について、「デザイン」というビジネスになじみのない言葉なので、ビジネスに関係ないと誤解される点があげられます。デザイン思考の本質は顧客目線で考えることなので、「デザイン思考」を「顧客志向」と言い換えて普及させた企業もあります。また、書物を読んだだけではその効用を理解することは難しく、体験が必要であることも普及のボトルネックとなっています。
私はこれ以外にも、自分の立場を離れた思考やディスカッションに、わが国のビジネスマンが慣れていないことが一因だと感じています。デザイン思考では、顧客の立場に立って考え、新たな価値や体験を創出することが肝になります。残念ながら、自社の技術や製品を起点として考えることには慣れているけれど、顧客の立場で考えるのは苦手という方が多いです。この苦手意識が、デザイン思考を普及させる上での大きなボトルネックになっているように感じます。苦手意識の克服には体験が有用です。リラックスして、遊び心を持ちつつ新たな体験を楽しんでいるうちに、デザイン思考の考え方が身に付くのです。
デザイン思考の効用は、書物ではなかなか理解できないものの一つです。これを理解する上でもまずは体験することが重要です。
3.デザイン思考を成功させるためのノウハウ
3.1 ユーザーを上手に活用する
IoT導入事例の中にもデザイン思考的なアプローチを採用している例がいくつかあります。参考になるのは、ユーザーを共創パートナーとして上手に使った例です。
携帯大手のNTTドコモは、高度な音声認識・AIを駆使したホームエージェント「iコンシェルホーム」のサービス拡充に当たり、外部からファシリテータを呼んで、「家の中でタブレットにより顧客の生活をサポートする」というテーマで合宿形式のアイデアソンを実施しています。また、在宅時間の長い主婦層へ試作品を見せてヒアリングを行うなどの試行錯誤を繰り返し、短時間でサービス開発を実現しています(https://smartiot-forum.jp/iot-val-team/iot-case/iot-case-docomo)。
一方、台湾発のスイッチング電源のグローバル企業であるデルタ電子とその子会社であるアドトロンテクノロジーは、水耕栽培機「foop」の開発に当たりWebやイベントなどのデザインまわり全般を手掛けるロフトワーク(本社:東京都渋谷区)の協力を得て女性向けのワークショップなどを開催しています。アイデアソンを活用し水耕栽培機のニーズを把握すると同時に、デザイン、コンセプトを固めています。ちなみに、アイデアソンで分かったのは「ユーザーは植物の生長がうれしく、それがfoopの価値」ということでした(https://smartiot-forum.jp/iot-val-team/iot-case/case-foop)。
3.2 視野を拡げて考える
ビジネスの発展を中長期的な観点から考えるには、顧客課題を明確化する際に視野を拡げて考え、トータルソリューションを提示することが有用です。この良い例が国内農機最大手クボタのKSAS(クボタスマートアグリシステム)です(https://smartiot-forum.jp/iot-val-team/iot-case/case-kubota)。
クボタがスマート農業に関する研究開発を本格化させたのは2010年頃ですが、同社は、研究開発を進めるだけでなく顧客である多くの農家との対話で現場の課題や悩みを把握しています。同社が把握した日本農業の課題は、北海道以外の都府県でも農家の大規模化が進んでいるものの、その姿は分散した平均面積0.2~0.3haの狭い圃場(ほじょう)注が多数集積されたものでした。
注:農業分野では、田、畑、果樹園など農産物を育てる場所のことを「圃場」と呼びます。区画された農地のことです。水田や畑ではあぜ道などで区画された0.2~0.3ha程度のものが一般的ですが、圃場整備により1ha程度や3ha程度の大規模なものも出現しています。
農家は、場所ごとに形や土壌が異なり、栽培に適した品種も異なる圃場を十分に管理できず、それが収量や品質の低下につながっていました。また、農地の拡大に伴って増加している作業量を減らすため、省力化や作業負担の軽減が必要なことも分かりました。さらに、国際競争を考えると、生産コストの削減や生産品の高付加価値化も必要であることなども分かりました。
これらの多くの課題の解決策として、同社がまず行ったのは、KSAS(クボタスマートアグリシステム)と自動・無人化農機の開発です(Step 1)。KSASは農機の稼働情報と圃場・作業・収穫に係わる情報を一元的に管理し、「見える化」します。これにより、データに基づくPDCA型の農業経営が可能になります。また、KSASを高度化すると同時に生育、圃場環境、気象情報などのビッグデータを活用した日本型精密農業の確立(Step 2)、会計システムや販売システム、市況情報などの外部データ、圃場水管理システムなどと連携することで得られるデータをAI(人工知能)で分析し、農家の利益を最大化する事業計画や作付計画の作成支援など、高度営農支援システムの構築(Step 3)という将来計画もあわせて提示しています(図3参照)。
4.未来からのバックキャストで価値を創出する
IoTやデータ活用では、省人化/自動化、最適化など、社会全般に関わる大きな流れがあります。この大きな流れから望ましい未来の姿を構想し、未来の視点から現在を見て、そこに至る道筋とその戦略を導き出す「未来からのバックキャスト」という価値創出手法があります(図4参照)。
この言葉はまだ聞きなれない方も多いでしょうが、図1のデザイン思考の「顧客課題の明確化」を「望ましい未来の姿」に置き換えたものです。ビジネスでこの手法を使う際には、3年から5年の近未来を検討してビジョンを描き、そこに到達するために今何をすべきかを具体化し、実践します。この手法の利点はビジネスマンになじみがあることで、デザイン思考とは異なり、違和感なく取り組むことが可能です。
しかし、望ましい未来の姿の実現に向けた課題と解決アイデアの発見には、デザイン思考の時と同様に、さまざまなバックグラウンドを持つ人や立場が異なる人を集めた方が有用なアイデアが生まれる易くなります。多様な人材を集める場の設定が鍵となるのです。
図4:未来からのバックキャストによる価値創出手法
5.描かれた「未来の姿」の事例
IoT導入事例にも、未来のビジネスや社会の姿を描いた例はいくつかあります。山岳トンネルの施工・品質、地山評価、作業員の安全・健康などのさまざまな課題解決や施工の自動化を実現するための「山岳トンネルAIソリューション」を描き、その第一歩として、切羽と呼ばれる山岳トンネルの掘削先端部分で行っている作業の内容を、AIによって自動判定するシステムを開発した準大手ゼネコンの西松建設(本社:東京都港区)の事例(https://smartiot-forum.jp/iot-val-team/iot-case/case-nishimatsu-k)はその典型例です。
一方、スイッチング電源とノイズフィルタの専業メーカであるコーセル(本社:富山県富山市)のスマートファクトリー化の事例(https://smartiot-forum.jp/iot-val-team/iot-case/case-cosel)では、「フレキシブルな人と設備の共存ライン」というコンセプトのもと、生産ラインの中に人と設備が共存する形で生産システムの革新を実現しています。同社は、生産システム全体の課題を分析し、生産システム革新の将来像を描き、その中でIoTを活用した解決策を考えています。そしてこの一環として、どのようなデータが取得可能か、データ解析の結果からどのような効果が得られるかについて検討しています。
ベンチャー企業のかもめや(本社:香川県高松市)のハイブリッド無人物流プラットフォームの事例(https://smartiot-forum.jp/iot-val-team/iot-case/case-kamomeya)も興味深いものです。瀬戸内海の離島では高齢化・過疎化が急速に進み、定期船などの既存物流インフラを維持できるかどうか危惧されています。同社は、離島の望ましい未来は、コストが安く手軽に使える無人物流プラットフォームの有無にかかっていると実感し、構想をオープンにするだけでなく、2020年の実用化を目指し無人航空機や航路の気象モニタリングを行う統合運行管理システムを開発し、着々と実証実験を重ねています。
6.まとめ
4回にわたって「IoT導入事例」として紹介した事例を分析し、IoT導入のベストプラクティスを考えてみました。IoT導入による価値創出には、「最適化」「省人化/自動化」「モノ作りのサービス化」などいくつかのパターンがあります。また、価値創出のノウハウについても、いくつかのパターンがありそうです。そのようなパターンを十分に理解し、かつ、価値創出ワークに果敢に挑戦することが価値創出の成功に向けた鍵となります。
イノベーションのパターンが「供給サイド」主体、「優れた技術」を起点としたイノベーションから「需要サイド」主体のイノベーションに変化しています。例えば、ファクシミリの場合は、より優れた符号化方式という技術の開発・標準化によってサービスが進化しましたが、スマートフォンではその斬新なデザインや使い勝手の良さ、好きなアプリケーションの実装によるカスタマイズなど「これが欲しかった」と感じるユーザーの潜在ニーズを実現することで新たな市場を創造しました。
「優れた技術」は現在も重要ですが、「技術の組合せ」「デザイン」「ユーザー体験」「使い勝手」「アクセシビリティ」などさまざまな要件がイノベーションに関わる時代になっているのです。「デザイン思考」や「未来からのバックキャスト」という手法は、このイノベーションパターンの変化に対応した新しい時代の価値創出手法です。わが国でも「需要サイド」主体のイノベーションを次々と創出するために、できる限り多くの方々がこれらの手法に習熟することを期待したいと思います。
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